2カ月前に退院してきた母ですが、
3日前から再び入院となってしまいました。
これまでの入院事由はいつも
15年前の事故で損傷した脳の影響で
てんかん発作が起きてしまうことだったけど
今回初めて「多臓器不全」が理由での入院。
前回のてんかん発作後に
初めて「誤嚥性肺炎」を起こし
これまで以上に飲み込みが困難に・・・
口から十分に栄養が取れない場合に使用する
「CVポート」
という在宅でも点滴につなぎやすい
装置を胸に埋め込みました。
退院前はなんとか3食
口から食べていたのに対し
退院後はどうにかペースト状の食べ物を
小鉢1/3~1/2程度飲み込むのがやっと。
他は静脈からの点滴栄養でしたので
臓器に影響が出てくるのも無理はないです。
いや、
逆に全く自分では動けない状態で
今まで臓器的な理由で
体を壊さなかったことがすごい。
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これまでの15年間、
晴れた日曜日・月曜日の午前中は
毎週車椅子に乗せお散歩に出かけたり
週2回はリハビリに来てもらったり
最初の頃は海外旅行にも連れて行ったし
最近も年に2回は近場に旅行に行ったり
「寝たきり」
にならない工夫を続けてきたことには
大きな意味があったのだろう。
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ヘルパーさんや在宅医療スタッフの皆さん
15年間きてくれてる訪問歯科さんや
最近では息子のシッターさんなど
我が家に出入りし
目の当たりする機会がある人には
「ここまで献身的な家族はなかなかいない」
「よくそこまで徹底的に介護できますね」
と感心の言葉をもらうことも多い。
最近とてもうれしかった言葉は
事故直後の開頭手術から
現在のフォローアップに至るまで
15年間診てもらっている
かかりつけ大学病院のDr.に
「僕の患者さん、
今300人くらいいますけど
ここまでいつも綺麗にして
大事に介護されてる家族は
下村さんちと、あと一家族だけですよ。
傷口を見ればどれだけ丁寧にケアしてるかわかるんだから」
と。
その言葉は本当に誇らしかったし
あと一家族の方へも賞賛を送りたい。
顔も見たことない人だけれど、
まさに同志だ。
・
はっきり言って誰もができることじゃない。
我ながら「よくやるなあ」と感心する。
何がモチベーションでそこまでやるんだろう?
と自分に問うてみた時に
大きく二つの理由があるんだと思った。
まず一つ目は
自分が後悔したくない
ということ。
母が亡くなってから、
「ああしてあげればよかった」
「もっとこんなこともできたんじゃないか?」
そんなふうに思わないために
1日1日を
「やれることは全部やった!」
と思えるように過ごしたいのだ。
今のところ本当に一片の悔い無し。
例え今日天国に旅立ったとしても
心の底から毎日やれることをすべてやったと
晴れやかな気持ちで見送れるだろう。
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もう一つは
母を「幸せもの」にしてあげたい
ということ。
周りの皆さんが言ってくれる
「なかなかここまでやる家族はいない」
それはつまり
「母はめちゃくちゃに幸せ者である」
ということを意味する。
母が負った試練は
不運だし、残念だし、無念だろうと思う。
55歳という若さで
さあこれから人生を楽しもうという矢先に
全く身動きが取れない身体となってしまった。
この状態で、家族が母を看ることなく
施設などでなかなか会えない日々を過ごし
孤独なまま死んでいったとしたら
母の人生は本当に可哀想だったことになる。
・
だけど、
目を覆いたくなるほどの障害を抱え
仮に家族が手を離したとて
誰も責められない中で
夫、息子夫婦、娘夫婦
そして近年は孫たちまで
みんなすぐそばに居て
毎日顔を見ることができる環境に居る。
これはもう、最高の人生の過ごし方だし
これ以上の幸せはないんじゃないかと思う。
だから、
私の身の振り方で母が
「惨めな可哀想な人」にも
「大の幸せ者」にも
どちらにでもなりうるのだったら
迷わず後者を選ぼう。
そう思うことが、
私の在宅介護のモチベーションになっている。
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